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遺影写真

 遺影写真は、死後に残すものに違いありませんが、死者にとってどれほどの価値があるものか、まだその経験のない者にわかるはずがありません。ただ一つ、遺された者との間(あわい)に充満する、雰囲気というような曖昧で不確かな交流を超えた何物かが、遺影写真には宿っているのだと日々感じるようになりました。それは単純に、凡夫でも味わえる年の功かもしれません。写真に携わって来られたおかげで、今日まで、見つめること、見つめて感じ、想いを巡らすことに随分と親しむ人生でした。一枚の遺影から亡き人と語らうひとときは、声は聞こえずとも、おそらく双方で語り合っているような気がするものです。

 では、死者としてではなく、この世に生きる者として、自分自身の遺影写真について考えて見たことはおありですか。少しでも若い頃の気に入った一枚を残したいというだれもが持ちそうな思いのことではなく、 わざわざ撮り残す過程を歩いてきた我が道をふりかえる縁として捉えるとき、そこから新たに生まれるものがありはしないでしょうか。たとえば、様々な出来事とそれらにまつわるあれやこれやの感情がよみがえり、面と向かっては言えない家族への思いが、生きている我と我が身への心優しい気持ちが、瑞々しい言葉になって紡がれ、波紋のように広がり、綾をなし、写真にまで生気を与える、という想像をつい巡らせてしまいます。

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